仮説実験授業研究会

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代表挨拶 (会代表代行:竹内 三郎)

仮説実験授業と「たのしい授業」 —普及と課題について

 1963年に仮説実験授業を提唱した板倉聖宣さんは,それから20年後,1983年に『たのしい授業』という月刊誌を仮説社から創刊し,2018年に亡くなるまでずっと編集代表をつとめていました。(その「創刊の言葉」の一部は,このHPの中でも紹介しています→こちら
 『たのしい授業』という雑誌名は,今では多くの人に違和感もない代わりに,特に魅力的とは思われていないのかもしれません。しかし,創刊当時の状況は,まったくそうではありませんでした。どちらかというと,それは「危険な思想」でもあったのです。

 仮説実験授業は,科学教育・授業研究の方法の全面改造をめざして提唱されたのですが,その一環として,最初から子どもたち(学習者)の「学ぶ楽しさ」をきわめて重視していました。だから,授業の成功失敗の判断基準として,ペーパーテストによる客観的評価だけでなく,楽しかったかどうかの主観的な評価をもとめるようにしていました。
 しかし,当初は〈授業書〉や〈授業運営法〉についてたくさんの批判があびせられました。「教師をロボット化するものだ」「問題は学習者が自分で発見するのでなければ主体的な学習にはならない」「問題の選択肢まであたえるのは子どもの自由な発想をそこなう」「児童実験がほとんどないのは知識の一方的な教え込みだ」といった批判とともに,「子どもの感想などは信用できない」「たのしい勉強なんて,あるわけがない」「子どもにおもねるものだ」という批判もありました。
 それらの批判は今でも全くなくなったわけではありませんが,たくさんの授業記録や公開研究会,講座などを積み重ねることによって,とても少なくなってきました。
 ところが,「学習の原動力はたのしさだ」「学ぶに値すると考えられることはすべて,たのしく教えられるような方法とともに提出されなければならない」「興味関心の持続は科学的認識の社会性と密接にかかわっている」「授業書をつくるには,既成の学問を作り変えなければならない」といった仮説実験授業の魅力のもととなるような考え方は,なかなか広まりませんでした。とくに「授業をたのしく」という考え方は,「とんでもない!」という受け取られ方をするのが普通でした。
 そうした状況をふまえて,1983年に『たのしい授業』を創刊したのです。つまり,当時の『たのしい授業』は明確な「批判の的」であり得たのです。だからまた,わくわくするような魅力を感じる人もたくさんいたわけです。

 さて,創刊から30年もたつと,「授業は楽しいのはいいことだ」と多くの人が認めるようになってきました。「公然たる論敵」がいなくなってしまったのです。それは,誇らしいことです。一歩前進です。
 しかし,言葉だけが普及したことで,心配なこともおこってきました。
 そのひとつは,『たのしい授業』という雑誌が,「〈みんなでたのしい授業をしましょう〉と呼びかける雑誌」であるかのような錯覚をひろめたかもしれないということ。
 もうひとつは,「とりあえず子どもが〈たのしい〉と言ったら(少なくとも〈嫌だ〉と言わなければ),それはたのしい授業というものだ」という考え方の流布です。
 そういう「言葉の無力化・無害化」は,既成の多くの教育用語(指導,体罰,共通理解,毅然とした態度,等々)にみられることです。だから「たのしい」という言葉も教育用語としての運命をたどっているのかもしれません。
 少し横道にそれますが,最近では「予想嫌い」の子が少なくないという話を聞いて驚きました。〈実験〉に先立つ〈予想〉は,仮説実験授業ではとても重視されます。しかし,その威力だけが喧伝されたせいか,「なんでもかんでも予想をたてさせる先生が多い」とも聞きました。これはまさに,やってはいけないと警告していたことが現実になったわけです。「流行化を防ぐ」というのをスローガンとしていたのですが,今後はさらにていねいな普及の仕方を考えなければならないと思っています。
 それはともかく,『たのしい授業』という雑誌は,「みんなでたのしい授業をしましょう」と呼びかける雑誌ではありません。
 実際には,まだまだ苦しい・きびしい授業(時間)が大部分なのです。それは子どもだけでなく教師にとっても非人間的な状態です。だから,「なんとかたのしくできるよう,いっしょに研究をしましょう」という呼びかけの雑誌です。もちろん,「たのしく授業をしたいときは,すでにこういう材料があります。ぜひ確かめてください」という情報提供はしてきましたし,今ではその材料は「かなりある」といってもよいのです。ただし,「みんなでやりましょう」というには程遠いのです。
 「たのしさ」についても,「それは手段ではなく目的である」と,おりにふれて何度も何度も板倉さんは書き,話されてきたのですが,まだ多くの人に十分には伝わっていないようです。それは私たちの力不足のせいですから,今後は研究の幅を普及の方法にまで広げて,さらに慎重に伝えていかなければならないでしょう。
 ただ,私たちの仮説・実験的な研究方法論(手順としては,仮説実験授業の展開とそっくりです。たのしくて確実ですが時間がかかるのです)よりも先に,「おもしろい問題がある」ということが知られるようになった結果,検定教科書にまで,仮説実験授業の問題が(特に理科と社会で)たくさん取り入れられるようになってしまいました。仮説実験授業をよく知っている人にとっては,指導要領にさえ,仮説実験授業の影響を認めることができるでしょう。
 このことは「仮説実験授業は子どもたちに歓迎される」と確認した善意の人たちが社会にたくさんいることを証明していると言えるでしょう。だから,そうした現象を全て拒否することはできません。
 ただ,うれしがってばかりはいられないということです。
 「苦しい授業が多い」ということは,「不勉強な教師が多い」ということではありません。
 じつは,明治以来,百年あまりの歴史を経て「学校」という組織が人間・社会の動きと合わなくなってきたこと(世界観も,多くの教育内容も古臭いまま),平たく言えば,百年前の制服を今の子どもたちに着せようとするような無理が根本的な原因です。その責任を現場の教師たちにのせいにするのは,まったく見当違いです。子どもや教師たちよりも,教育学者,政治家・行政家が不勉強なのだといっていいのです。
 教育現場では,きゅうくつさに耐えられない正常な子ほど,教師をこまらせる可能性が高くなります。そんな子たちは,ほんのちょっと自由が拡大したり,目先の変わった授業をしてくれれば,「たのしい」と評価してくれます。それは,「苦しい」よりはましですが,長期的な,もしかすると一生つづくかもしれない〈たのしさの入り口〉に導くような教育とは比べらべものにならないのです。そんな理想的な教材(つまり「たのしい授業」の教材)を開発するためには,まず,ばかばかしいようですが,「そういうことを考えてもいいのだ」「いや,そういうことを考えるのが教育の研究というものだ」と認めなければなりません。
 そうしなければ,「教育界の常識」からはなれて,本当に「子ども中心」の教育を考えることができないでしょう。
 しかし,「本当に子ども中心の教育」というものの実態は,まだ今のところ,仮説実験授業以外では見ることができないと思っています。であれば,仕方がありません。泣き言は言わずに,仮説実験授業の研究,新しい,教えるに値する内容の研究を先にすすめるしかありません。
 それをすすめようとするなら,まず自分自身がたのしく生きるしかないでしょう。どうか,いっしょに,たのしく生きていきましょう。
 よろしくお願いいたします。

〔付記〕
 研究会の足跡を確認することにつとめたため,新しい動向についてはまったくといっていいほどふれませんでした。そこで最後に一点だけ付け加えさせていただきます。
 国際的に仮説実験授業の存在感が高まっていることと,それに多少は対応しようと,この1月に,「仮説実験授業に関する板倉聖宣初期論文4編と授業書4編の英語版」が刊行されたというニュースです。書名はHYPOTHESIS─EXPERIMENT CLASS(Kasetu)で,日本国内でも京都大学学術出版会・全書店を通じて税別3600円で買えます(海外向けはTrans Pacific Press(TPP)発行,ISBN978-1-925608-87-8)。
 この刊行作業にあたってくださったのは主に舟橋春彦さんと小林眞理子さんなのですが,この事業も他の研究会の事業と同様,「研究会の決議」などによるものではなく,すべて自発性にもとづくものでした。もちろん,たくさんの人々の応援があって実現したことですが,その応援も自発性にもとづくものでした。
 人間の自由な意思を最大限に尊重することは,たのしい授業,仮説実験授業の原理です。
 その他の研究会の動向は,このホームページ(これも村西正良さんの自発性におんぶして運営されているのですが),あるいは,月刊『たのしい授業』(仮説社)でご覧くださるようお願いいたします。
 なお,研究会の会員向けには,毎月『研究会ニュース』(日本語のみ)が発行されています。

あとがき
 2018年2月7日に,板倉聖宣さんは87歳でおなくなりになりました。(1930年5月2日誕生)
 生前から「〈死んだらしめた〉だよ」とか,「ぼくの思い描いていること(広く言えば,科学教育の全面改造と,それによってもたらされる諸科学の改革,社会思想の改変)が普及するには,200年や300年では無理だよ」と言われていました。「だから,あせってはいけない」とも言われていました。
 そのことは十分に承知していたので,亡くなられたことを納得するのはむずかしいことではありませんでした。未完成の研究がとんでもなくたくさんあることにも,驚きはしませんでした。
 しかし,「研究会代表の代行」という肩書が,緊急事態でたとえ一時的なものであるとわかっていても,我が身にふりかかってみると,なかなか受け入れがたいおもいを味わっていました。
 そして,まさに1年がすぎました。仮説実験授業研究会は,ずっと先のことは知りませんが,板倉代表なしでも大騒動になりませんでした。
 つくずく「仮説実験授業研究とはすごい研究会だ」と思いました。
 そして,やっと,上のような文章を書く気にもなりました。ただし,何も新しいことを言ってはいないつもりです。
 『たのしい授業』の存続,あるいは雑誌名の変更についても,この1年間考えてきました。その上で,以上のような認識を改めて公表して,雑誌の存続を決めました。
 HP管理人の村西さんには,早くから「仮説実験授業研究会の代表代行として何かを書くように」といわれていたのですが,それから1年ちかくたってしまい,申し訳なく思っています。
 そんなのんきなことを言っていられたのは,事務局長の犬塚清和さんの活躍があったおかげです。体調がすぐれないにもかかわらず,まさに自由電子のごとく全国をとびまわって「仮説の研究会らしさ」をも保ってくれました。
 ついでに,後世の歴史家のために一言付け加えておけば,〈仮説実験授業〉をつくったのは板倉聖宣だが,〈仮説実験授業研究会〉を,まさに今あるような独特の活力をもった研究会として維持したのは犬塚清和です。それはまた,〈板倉聖宣の組織論〉というものを推測する手がかりにもなると思います。(2019.2.23)

※板倉聖宣 前代表の「ことば」は,こちらをご覧ください。

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